ぼーっと生きてきた55歳おじさん その1

2022年5月10日火曜日

プロフィール

t f B! P L

私はかなりボーっと生きてきてしまいました。
少し順を追って振り返ろうかと思います。
なぜ急にこんな事を書こうと思ったかと言うと、これから残りの人生
今までの様に生きていきたくないので、書いておこうかと・・・・。
ぼーっと生きてきた結果が今ですからね。残りの人生をもう少しね
充実したものにしたいし。
50年以上失敗し続けた事が、これを書いたからと言って治るのか?
という疑問はありますが、やらなければそれまでなので、書いてみようか
と思います。書いていて恥ずかしくなってきたら、途中でやめます(笑)


ぼーっと生きてきたおじさん(小・中学校編)

小学校編

母はかなり厳しい人だったと思います。小学校低学年の頃は、家に帰ったら
宿題が終わるまで遊びに行ってはダメというルールでした。当然、遊びに
行きたいので、適当に宿題を終わらせます。
算数のドリルなんぞは答えを見て写してました(笑)。
なので、勉強の方はあまりできない方でした。ほぼほぼ一般的な小学生。
中くらいですね。テストで言えば50点位がとれるかも?って感じ。

小学校高学年になり、母も「宿題やってから遊びに行っていい」では
落ち着いて勉強しないと思ったのでしょう。4年生くらいからか、
遊んでから宿題やっていいに方向転換されました。また、当時家計は
苦しかったのか、母も働きにでる様になったと記憶しています。
なので、暗くなるまで遊んでました。
しかし、帰ってくれば見たいテレビがあり、宿題をやる時間なんぞは
どんどんなくなります。そうこうしている内にテレビは1日1時間
という訳のわからんルールが確立。ふーむという感じでやはりなるべく
早く宿題を終わらせる為、かなり適当にやってました(答えは取り上げられた)。

小学校夏休み編

夏休みにはかなりのボリュームの宿題が出されます。まじかよって位。
そして夏休みに入る直前には、先生より宿題進捗の計画を出す様に言われます。
当然の事ながら、全ページを夏休み日数で割り、1日5ページとか適当な
計画を立てます。そのほかにも宿題は出ていたので、あとは時間数かな?
1日3時間。午前2時間、夜1時間みたいな絵に描いた餅を提出します。
実際夏休み入ってみれば、そんな計画は全くなかった事の様に扱われます。
子供の頃から計画的に物事を進める力はどうもありませんでした。

中学校に入り大きくかわる

中学1年まで

中学校1年までは、小学生とあまり変化ない状態でした。中間テストや
期末テストも全部40点からよくて60点くらい。国語と英語が苦手だった。
あっでも数学や理科が得意だったという事もなく、まー普通って感じ。
そんなこんなで、親はどうも焦り始めたのか、塾へ行けと。。。。
「じゅくですか?」って感じでした。で、友達も行っていた
個人塾へ夕方ちゃりに乗って通い始めました。

中学校2年から大変化が

塾というのは後にも先にもその時にしか通った事はないのですが、
学校の授業より2歩、3歩先へ行くんですね。今の塾がそうかどうか
わかりませんが、当時私が通った塾はそうでした。
そうすると何が起こるかと言いますと、学校の授業がちょーわかるのです。
「はいはいはい、それね!」みたいな(笑)。
塾が予習、学校が復習みたいな感じ。そんなこんなで、中学2年の真ん中
くらいから成績がギュイーンと上がりました。そして俺あたまいい?
みたいな大きな勘違いをします。

高校受験

で、で、中学3年に入るともう高校受験がちらつきます。進路相談も
三者面談も多くなり、受験する高校を選んでいく事になります。
そしてとりあえず第一志望にはまずまずの進学校を選び、おそるおそる
先生に提出してみました。
三者面談で先生は、この成績を維持できれば、大丈夫じゃないかと。
合格できるんじゃないかと。母は喜んでいました。私もまじか!という感じ。
で、勉強もやる気が出て、塾にも通い続け志望校を受験し合格しました。

これが人生初の努力による結果であった事は確かですが、この高校へ
進学したのが、人生失敗の第一歩だったようにも今思っています。

(つづく)



By労働白書


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